広大なこのネットの世界でみつけていただき ありがとうございます。いつもどこかの空は晴れている。
きみどり と申します。
難病闘病中の夫と2人の子供と、共働き家庭で慌ただしい日々ですが、
毎日が素敵な色になるような生き方を模索し、自分なりの「価値のある終活」を見出して出力しています。
『自分にしかできない片付け「価値のある終活」という財産』https://toyousomeday.net/minimal/
料理も出力しています『【楽ちんリメイク】2品、豚の紅茶煮レシピで炒飯とカレーも』https://toyousomeday.net/honeymustard_pork/
良かったらのぞいてみてください。
苦手という固定観念は大体が自分以外の人が植え付けてくる
今回は「苦手」という言葉を考察してみたいと思います。
苦手だな、と思うことってありますか?
人は誰しも得手不得手があると思います。
それは決して自ら選べるものではなく、仕方なく、まぁ、妥協して受け入れるのだと思います。
好きや嫌いもあります。これも大体は無意識化で思った気持ちが表面に出てきた時に、
好き、嫌いといった言葉になるのだと思います。
それでは「苦手」って最初はどこから来るものなのでしょうか。
逆に言えば「得意」って?
どちらも誰かに一回は言われたことありませんか?遠い記憶にありませんか?
自分で思うのは好きか嫌いか、ただそれだけだ
わたしは小さな頃
「きみどりはこれが得意だね」「お前はどうして苦手なんだ!(勉強を)人の3倍やってもできない」
と言われたことが ものの見事に、いつの間にかそうなりました。
というか、いつの間にかそう思い込みました。
もちろん的を得ていることもあるでしょう。
しかし、一度かけられた呪縛はすんなり心に入ってしまった時ほど強いものです。
すんなり心に入る時は両親や近しい人が1番ですが、フとした時にも発動します。
そして幼い頃なら尚更、まだ自己容量も少ないので、考えずに
「そっか、わたしはこれが得意なんだ、これが苦手なんだ」
と、素直に受け取ります。
本来なら
好きそう、嫌いそう、があって→やってみて→やっぱり好き嫌いがあっても→初めて自分で考え→選び→やっていて気持ちが良いか、苦痛か。
というのが健全だと思うのですが、その考えて選ぶことをさせずに、こちらの決定権で決めてしまう。それが得意なんだね、苦手なんだね。だと思うのです。
あの時なんで否定したの?他の言葉で言ってくれていたら……
わたしは単純に「なーんだ、わたしって勉強苦手なんだ。人の3倍やらないとできないのかぁ。じゃあ余計にやりたくないなぁ」と。
そこから この言葉がずっとのしかかって本当に勉強が苦手だと思いました。
実際、呪いのようにしっかり成績に反映されました(笑)もちろん自己責任でもありますが;
自分の限界の思い込み、その呪縛は人生でもったいない
その呪縛が解け始めた頃に思ったのです。あの言葉がなければもう少し取り組めたのでは?
そもそも勉強、そんなに嫌いではなかった。苦手苦手……=苦痛。それだけだった。
これのもっともっと強くなったものがマインドコントロールだと言えそうです。
(『マインドコントロールの意味や定義をわかりやすく』→https://www.weblio.jp/content/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB)
子供には絶対しない、したら未来の可能性を潰すやつや
そう、子供には特にしてはいけない。
暴力的では無いのにこんな強い言葉を発見するとは思いませんでした。しかも自分の中から。
つい言ってしまうこともあるのかもしれないですが、苦手だけではなく、得意も否定も。決定することはなるべくしないようにしたい、と思いました。
本人が選んで本人の気持ちと考えで決めてほしい……
そうは言っても、得意に関しては時として魔法となり、その子を助けてくれたりすることもあるでしょう。
ただ用法・用量を守ってと言ったところでしょうか。
素敵な魔法になるなら良いのですが、時としてそれは枷になる、ということも忘れたくない。
人は自分の意思で決めることのほうが 気持ちを強く、長く持てる
そんなわたしも、人より劣っていることでも自分で決めれたことが ひとつだけ あります。
ピアノです。音符の音源は読めてもリズムがどうしても読めない、出力もできない。
耳で聞けば まだ出力できる。聞かないとても難しいのです。
今日はレッスンに行きたくない、という時もあった。
親からは行かないならやめなさい!と言われたりしたけれど、絶対やめない!と自分の意思で続けたのです。
どんなに落ちこぼれでも好きだったから。
環境でやめることになっても、大人になる前もなってからも、自分の意思でまた通い始めたりしました。
そう。否定されなかったから好きという、自分の気持ちに素直に向き合えたのだと思います。
もちろん何度も同じところで間違えるね、もっとこう弾いたら?とか指摘や注意はされましたが……
呪縛はなかなか取れるものではない、立ち向かうのはすごいこと
そんな苦手という言葉の重さ、強さにちょうど気づき始めた時期に友達が
「夫に色々言われてツライ、料理や育児が苦手だけど、頑張って取り組んでいるのに」と。
それを聞いて、彼女が昔、元カレさんにもこれが苦手だよね、などと言われていたのを思い出しました。
なので彼女もまた、今まで人から沢山の「苦手だよね」の言葉をもらってきたはずなのに、それでも取り組むって、すごいことです。
苦手じゃないもの、得意と言われたようなものならできて当たり前かもしれない。
でも苦手って本来やらない、さわりたくない、なかなか努力はできないもの。
得意を伸ばす方が良いに決まってる。苦手には時間も気持ちも労力も、何倍と使うはずですよね。
一度憑いた固定観念、呪縛がある中でそれに取り組むことは、なかなかできることでは無いです。
わたしはそれを子供の為に頑張る彼女にとても感心しました。
なんだか心がギュッとなったのは秘密です。
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ほとんどの人は苦手な事にチャレンジする事なんて、それこそが苦手に思うと思います。
だからその時点で苦手×苦手で二乗です。
それなのに、誰かに何か言われるなら、その人こそ何か苦手と言われたことに是非とも挑戦してみてほしい。と思ってしまうのです。
最後まで見ていただきありがとうございます。
きっと今この文字を見ている方は 人生をもっと素敵な色にできないかな と思っているのではないかな、と想いを馳せらせて……