自分の後始末は誰がする?一つの財産?終活には価値がある?

E~始まりの空R4.6/10 終活の思想

広大なこのネットの世界でみつけていただき、ありがとうございます。いつもどこかの空は晴れている。

きみどりと申します。

このブログのプロローグに関しては

前記事『出産・夫の難病発覚、そして私は終活ブログを開設した』https://toyousomeday.net/prologue/を ご参照くださいませ。

終活ってなんだろう?自分の後始末を考えてみる

○○活というのは就活に始まり、婚活・朝活などいつの間にか色々耳にするようになり浸透してきました。終活も耳にすることがかなり増えたように思います。

(世の中色々な○○活があるようです)

(『29種類の○○活』https://business-textbooks.com/katsu/

終活は言葉としては「人生の終わりのための活動」の略で、死と向き合って自分らしい人生・最後を迎えるための準備やそれに向けての活動と言われています。

わたしは この終活というものに対し、とてもとても重要なものを感じます。核家族化、高齢化社会、少子化から必然的に生まれた問題、近所付き合いの無さや孤独死や色々な社会問題もありますが、そういったことではなく

ただシンプルに、

もっと素敵に生きて 終わりだって、終わった後にだって、なるべく綺麗がいいよ!わたしゃ終わった後に「不」を残したくないんだよ!

何も思われないならまだマシさ。少しでも「なんだよコレ」とか「マジだるい」といった思いを誰かに なるべくならしてほしくない。知らない人にだって なるべくなら……

この現代で森かどこかで1人で生きていて人知れず死んで土に還る、なんて 野生人はなかなかいないと思いますので、死んだ後は誰かが自分の生きて来た跡の後始末をするわけです。

それが家族なのか知らない人なのかは わからないけれど

誰かは わたしの生活の終わりや肉体の終わりに関わるはずです。

「価値のある終活」という一つの財産を作ることは自分にしかできない

他人に自分の後始末をさせるのも申し訳ないですが、一般的にそういったことに多く関わる人はそういうお仕事のプロの方 と割り切らせていただくとしても、

その終わりが孤独死で無縁仏になろうとも、大切な家族がいたとしても、どちらでも強く思うのです。

終活ってちゃんとしていたいな。ちゃんとできてたら実はそれはもう『ひと財産』であり『価値のある終活』になると。

もし悲しんでいてくれているなら、そんな時に煩わしい手続きや整理、片付け、あれやこれやと色々なことをするのは、なるべくなら させたくありません。

お金を残すのは大変だけれど、多少のお金以上の価値のある終活なら誰だってできるんだ。

わたしだってできるんだ!そして自分以外にはできないんだ!そのことに気づきました。

ちなみに言えば、お金や資産を沢山持っていても、ちゃんと管理されておらず死後にそれらがうまく整理されなければ面倒なことが これでもか というほど出てきます。

もちろん、それはそれは汚い争いが起きたりすることも多いですし、お金の相続だけではなく様々な問題で嫌な思いをする者がいたり、まぁ良いことありません。

お墓に対して思うこと、世代と共に時代も変わっていく、大事なのは未来在る者たちの時間

お墓についても似たような考えで、宗教・思想など人それぞれですが、そもそも本当に幽霊っているの?

わたしには魂魄があるのか無いのかも実際わからないし、もしいわゆる魂というものがあるなら(死んだ後のルールもシステムも知りませんが)わたしはお墓に滞在したく無いかな。

魂だけになったら自分の骨に興味無いし。

あえてお墓について言うなら突拍子もないこと言うと某有名な7人の小人の石像とかに護られたい(笑)ハイホー♪そんなお墓あったら可愛くて面白いもの。

わたしは死んだ後の骨をどうするか決めてはいるけれど、実際は何でも良い。その後に関わる人の負担にならないのが良い。

そもそも お参りや墓守をしてもらえると思うなよ?自分がすごーく先祖のお墓を大事にして色々やってきたとしてもです。(大事にせずお参りもあまりしていないなら論外ですが)

そう自分に言い聞かせています。だってそんなもんだ。時代は変わったし変わっていく。

先代、先人たちがいるからこそ今の自分や現代がある。その感謝は大事にしたいですが、これから未来ある者、そっちの都合を優先していいからね、という気持ち。

そして肉体からせっかく解き放たれたんだもの、色々楽しみたいし、どんなことができるのかできないのか、ワクワクだよ。

地獄というものや何か強制移動させられたなら仕方ないし、全ては「無」ならそれもそれで仕方ないけれど。

「価値のある終活」をするために一度想像してみよう

さて、それでは価値のある できる終活とは何でしょうか、すぐに取り掛かるには何から始めれば良いのでしょう。

答えは実は何でもです。小さいことから始めるなら身の回り 何でも、何から始めても良いわけです。

と言っても とても困ってしまいますよね。確かに何でもと言われると見当をつけにくくなります。

そこで理想や目標をイメージしやすくしながら、わたしが実践してきて素敵に少しづつ近づいたことを紹介していきたいと思います。

が、その前にまず、死ぬ時の状況が(死因ではなく身辺的に)どういう状態だと理想だろうか。

死んだ後始末を踏まえると、その後のことはどうかな?自分がもし そんな後始末に関わるとしたらどうかな?考えてみてください。

これ、今は全貌が見えなくて想像がつきにくくても、見つけていくためには とても大事な事です。

たまに思い出して考えることをおすすめします。

少しでも素敵が見えてきて その度に少しづつ形になっていったら理想です。そして理想が近づいている証拠です。

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この文字を見ている方はきっと少しでも今より素敵を目指したい方だと思いますので 本来はあまりごちゃごちゃや面倒くさいものは望まないと思います。

もし他人から見てのごちゃごちゃがあるとしたら、それは なかなか忙しいか、もしくは大事な こだわり があるはずです。

次回から まずは取っ掛かりになるような実践的なことを紹介していきたいと思います。

最後まで見ていただきありがとうございます。

人生をもっと素敵な色にしたい方たちと、今のわたしも、次にここを見た時のわたしも、

もっと素敵を目指せますよう、想いを馳せらせて……

第1子高齢出産とともに突然 夫の難病が発覚。
闘病は今後一生続きますが、運良くその治療の直前に凍結できた種で第2子も授かることができました。
本日もそんな共働き家庭で目まぐるしく生活中。

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終活の思想
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